義理家族との付き合い方。【国際結婚・同居】

ここ一ヶ月、夫オイル側の家族の事で目まぐるしく動いていた私。
自宅警備も仕事もおろそかになるほどで。

問題が山積みになってテンヤワンヤしてる時にふと“義理家族に溶け込んでるなぁ私。“と思いました。
溶け込んでるというのは自分の本音を伝えることができ安心して暮らしているという意味で。

国際結婚に限らず結婚やパートナーと一緒になることは同時に相手の家族ともこの先関わっていくということ。

いやぁ、コミュ障には試練でしかない。(/・ω・)/

なんなら移住前の10数年ですら自分の家族や親戚とも関りは薄かった私。
こちらに来て初めての義理家族との生活はやはり大変でした。

しかも移住一年目は完全同居
思い返せば色々ございました!

今思えばとっても贅沢な同居で。

広い家に私専用のバスルームを用意してくれ、あまり金銭的余裕がなかった私たちのために同居の費用など取らずむしろ援助してくれて。
部屋も車も用意された中での同居。いやホントに贅沢すぎる。

周りからは羨ましがられましたがそれなりに色々ありました。
同居のあれこれにちゃんとぶち当たってました(/・ω・)/

初っ端からお皿の洗い方、水の使い方、お金の使い方、生活におけるこちらならではの“常識・価値観・やり方”に直面。
自分流にやると失礼かな?と思い気を遣う日々。

そもそも言葉も文化も違うのです。みんな違うやり方があるのは当たり前で。

日本人同士でも環境が違えば価値観も全く違うということに気づいたのは同居半年をすぎてから。それからは郷(豪)に入れば郷(豪)に従いつつ自分のやり方も適度にねじ込んできました。

分からないときは素直に「このやり方でやりたいけど大丈夫ですか?」とか「こうやったら失礼ですか?」とか聞きまくってました。

そして人間関係や伝え方にも四苦八苦。コミュ力モンスターになりたいと何度思ったか。

とにかく人の出入りが多い義両親宅。
“お世話になっているから”という理由で苦手な集まりでもなんでも笑顔で参戦。

義理家族はとても社交的なので賑やかな場所に当時は出ることが多かったです。
集まり・お茶会・家族行事・ボランティア活動など今までの私の生活にはなかったライフが出現。

一人で黙々と何かをするのが好きな私にはチームワークやチームプレイがとにかく苦手でして。
運動会の種目でもリレーか徒競走を選べるなら断然後者。でもそんなのお構いなしにガンガンやってくるコミュ力モンスターズ。

無理をしてやってきたことで何度かぶつかりました。これは完全に私が悪かった。苦手なら正直にいえばよかったのに。
娘同然に可愛がってくれていた義両親はとにかく私に構いたい(心配)VS構わないで欲しい私。

私がオイルを好きな理由は性格真逆で社交的でポジティブだから。義両親ともそのまんま。
超ポジティブ

ホントに自分が嫌だと思うことはちゃんと言葉にして断ってたつもりなのですが言葉の壁か受とらえ方なのか“遠慮している”と思われてさらにガンガンやってこられたりしてネガティブ発狂。

夜な夜なグーグルで検索してましたよ。。。
国際結婚 同居 家族づきあい
義理両親 かわし方

オイルにからは「家族なんだから思ったことはっきり言いな。断っても両親は何も思わない。」といわれその通りにしたら変化球飛んできて余計テンヤワンヤ。

英語が流暢ではなかった私の言葉のチョイスはかなりストレートで今思えば義両親を不快な気持ちにさせていたかも。

移住当初は環境ががらりと変わり全く自分の仕事が出来なくなって切羽つまってました。(本業一応アーティスト)
文化も勝手も違うのがさらに拍車をかけモヤモヤ。
オイルも当時は自身の事で忙しくめっちゃ喧嘩してました。しかも義両親の前で。

私は感情的になると場も考えず言い出すタイプ。
オイルとの喧嘩理由は義両親と私の間に入ってほしかったという甘々なもの。彼からしたら”知るかよ”ってもんですね。
義両親に失礼のないようにしてきた事がストレスになりそれをオイルにぶつけていての超悪循環。
不毛な戦いを繰り広げていました。もはや自分VS自分。
自分が出来ないことを環境のせいにしていたという最悪のパターン。

夜な夜な家出をすることもありました。でもここはオーストラリア。

コンビニもなければファミレスもドンキもない。日本だったら友達のやってるカフェに行く→話きいて貰いスッキリ→帰宅!がルーティンだったのにそんなこともできず。ひたすら見えるクリアな星空を見ては思えば遠くにきたなぁとか思い、泣く。とにかく泣く。
結局探しにきたオイルズにあっけなく確保されてました。

同居したことで沢山の出来事にぶつかりましたが不思議なことに《日本に帰りたい》ということはまったくありませんでした。

自分の家族や数少ない友達、かつての顧客様に会いたいと思うことはあってもオーストラリアは好きです。住みやすい。

喧嘩のたびにオイル以外の義理家族からは「日本に帰らないで。あぶらが帰っちゃうと寂しい。」と言われ続けたのもあるかもしれません。

そう、義理家族も私にとってより良い環境を作ろうと必死だったのです。
みんな関係を構築するのにしのぎを削って攻防戦を繰り返していました。

今でも全く緊張がないか?と言えば嘘になるけど以前ほどはなくなりました。時がたてば「私あの人好きじゃないからあの人くるならこの集まりいかない」とか言えるようになるんですよ。。。そうなりました。
どうしても緊張するときはCBDオイル舐めて参戦。

自分のコミュ症加減を人に調整してもらおうとしていた移住一年目。

オイルのためにとか義両親のためにと自分の本意ではない動き方をしていて気づいたのは誰もそんなこと頼んでない。ということ。

自分が選択してオーストラリアへ来たのに、富岡義勇氏風に言うと【生殺与奪の権を他人に握らせようとしていた】という。
“こうしたら義両親はよろこぶから”とか“こうしたら波風立たずにすむから”とかいらない神経を使った結果がんじがらめになる。

国際結婚/義両親との同居/相手の親族との関わり方/移住 とか世の中に溢れまくってるトピックスにうまく当てはまろうとしたのが間違いで。私のやってることマジいらん世話だったし初めからうまくいくわけない。

もともと結婚にたいしてよいイメージもなく(自分がすると思わなかった。)海外移住に対してもそんな期待もなく。

日本にいようが海外にいようが結局ぶつかってた問題だったと自覚。

考えたら義両親も国際結婚でオイルもオーストラリアが生まれ育った国でもない。
条件私と一緒やん

そこからは関わり方が激変。自分が暮らしやすいように言いずらいことははっきり言う、誰かにかばってもらわない!自分だけが特別ではない!と思えるように。
信じられないかもですがこんな大人もいたんですよ〜(私。)

今では同居は解消され別々の家に住んでます。
同居していた当時に比べ別々の家に住んでいる方がみんなの精神治安もいい気がする。

自分たちだけで暮らしだすとホントに贅沢な同居をしていたと思います。頼らずに生きなきゃ!って必死になってた同居時代に比べ今では甘えるとこはバリバリ甘えてます。

オイルが長期出張で海外へ行くときも今では不安もなく過ごせています。ひとりでも適度に義理家族を頼りますし頼られます。

同居がいいかと言われたら多分答えはNO。
でも私は同居したおかげでこちらの文化や言葉に嫌でも触れることができました。

移住したてでそれを体験できたのは自分の中で大きなプラスでした。(今だからそういえる)

基本的にオイルとの会話の60%は日本語。
コミュ障で人との関りをあまり好まない私の英語力が少し上がったのは間違いなく同居のお蔭。

なるべく家族の前では日本語を使わないと言うオイルとの暗黙のルールもあってか英語はなんとか困らない程度に。
医療用語や電話対応、政治の話や保険のあれこれとかは未だに激むず。


こちらで友達がいない私を心配したママオイルが【あぶらの友達作り大作戦】に奔走したこともありました。ですが《これが私です、ほおっておいて下さい》とはっきりした態度で対応するようになりようやくいらん世話だと理解してもらえました。

日本人を見かけるたびに何か接点を!って連れてこようとしてたんですよ。いや、やさしいけど私そういうの欲しくなーい!って。

人との出会いや関りって自然なものだと思うので《友達作ろ!》っていう考えがめちゃめちゃキツかった。コミュ障には。
気になる人がいたら私は普通に喋りかけます。
特に路上で踊ってる人とかパフォーマンスしてる人とか動物連れてる人とか。
コミュ障にも色々タイプあるんです。

さて冒頭の話ですがここ一ヵ月、義理家族の事で私自身が奮闘していました。

以前だったら緊張しながらかかわっていた義理家族とのあれやこれやも力入れずに関われてたことに気づき成長を実感。

ものすごおおおおくゆっくりですが溶け込めた気がします。環境ってすごいですね。
私、すごくない?進化したじゃん!と褒めましたよ。

結婚やパートナーと一緒に暮らすということは少なくとも相手の家族とも関わるということ。
言い方や伝え方、受け取り方でトラブルになることも多々ある。

私も溶け込んできたとは言えまだまだ文化の違いや思うようにいかないこともあるのですが最近はもう流れに任せるように。

感情的な時は一旦置いておく(よく寝て時間を置きまた考える)
相手と思想が違っても悩まない(そもそもDNAレベルで人は違う)
義理家族も大切だけど一番大切なのは自分の家族と自分の気持ち(自分の機嫌は自分でとる)


そして義家族との折り合いが悪く自分の配偶者やパートナーともぎくしゃくしてる方がいるならとっとと解散しましょう!
他人の人生に支配される前に嫌なことは止めて自分の人生を生きましょう(/・ω・)/

SMAPも歌ってました。
育ってきた環境が違うから好き嫌いはしょうがな〜い。って!

オーストラリアでは離婚はとても普通です。私の周りの目の上の方は80%離婚して再婚してます。
親戚の中では一度も離婚してない方が少ないくらいです。

離婚を推奨するわけではないけど結婚も推奨してません。

世の中多様化しているのでリレーションシップもそれに応じて自分の思うままでいいと。
イージーに考えることができる現世に生まれてよかった。

ここ最近の“家族のテンヤワンヤ”の中にオイル叔父の愛犬を預かるというのがありました。

叔父が入院してしまったため退院するまで我が家で一緒に暮らすことに。一時的に犬が二匹になりました。

犬同士の相性があり一緒にいることができないので預かり犬・ポピーは私の仕事部屋で生活中。

シェルターから引き取られたポピー。

誕生日が不明ですが獣医さんによると推定17歳。耳が聞こえなくて痴呆症有。
足も腎臓も悪くて介護が少しいるので自宅警備員である私の元にきました。というか私が立候補しました。

おじさんのよき相棒犬。両者ともとても寂しいと思います。
早く叔父さんがよくなるといいね。過去には絵画が好きな叔父さんのためにポピーの絵を描いて送ったことも。

犬に見えるかな。。。

人間だって突然環境が変われば不安だもの。ポピーもきっと不安。

快適に過ごして貰うために私は犬たちの奴隷になってます。
心が気ぜわしい時も彼女たちの頭撫でると癒されてます。

別の家族の危機はみんなで手分けして乗り越えようと思えるようになったので進化したぞ、私。

そして気ぜわしい中でオイルもお誕生日もお祝いしました。

あいにく南オーストラリアは何度かロックダウンして派手なことはできなかったけど(派手なこと好きじゃないけど)ケーキをつくりました〜

モザイクのとこは名前です。

ヘルシーなものが好きな彼のためにキャロットケーキをチーズクリームバターフロスト(ヘルシーとは?)で。

デコレーションが無かったので1歳からいままでの彼を乗せときました。質素ですが大喜び。

彼も連日家族の事でわちゃわちゃしていてなおかつ自分の仕事もあり私より神経すりへってんじゃないかと。

彼も私と義両親の間で板挟みになること多し。色々すまんなと思います。
でも時にはこっち側こいやとも思います。

結婚とか同居とか家族付き合いって時々すごく面倒くさいけど、時々すごく感謝する。
ようやくそう思えるレベルに達した2021。

私は比較的に何でも一人でやってしまいがちで孤立してしまうタイプ。
周りに仲間がいるのにチームワークを忘れてしまう。
其れじゃだめ〜

結婚とか相手の家族とか同居とかありふれたもの。

外国だから同居は楽でしょ?と言われたこともあるけどそんなことない。
家が広かろうが何だろうが色々ある。
要はチームワークと思いやり。

結婚も同居も一人では乗り切れない!
相手がいることは相手と問題を共有し解決する事!


今でもクリスマス前は結構ワチャワチャする。最高のクリスマスにするために意見が飛び交い険悪になるときも。
目的は一緒なのに。

クリスマス以外でもやっぱり色々あるけど。ゆるく乗り越えていくしかない。
イージーモードも大事。

とりあえず今はチームワークが必要な時なので家族間治安維持部隊、頑張ろうと思います。
同居や家族間であった珍事件はまた別の機会に〜